お茶を挽く |
2013年8月3日
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赤とんぼが飛んでいるのをみかけるようになりました。
先日ひがし茶屋街の天ぷら屋さんに行った折
けっこうにぎわっていて
店主さんが「ですが、お茶をひいている日もあります」と話されるのを
花街(かがい)らしい、粋な言葉をつかうものだと聞いていました。
「お茶をひく」は、吉原から生まれた言葉と本で読んだことあります。
土地によって、また時代によって制度は変わるのですが
その昔の遊女さん卵になる器量良し(100人に1人くらい)は
惣まき(大見世)ってかなりランクの高いお店に
そして、格子越しに顔を見せない花魁は半まき(中見世)までに存在していたそう。
その中でも、頭が良くて器用な子(スタッフといい関係が作れるなどの
能力も必要)が選ばれ(ここでまた、1/100くらいに)
茶道華道香道に囲碁、読み書きや和歌、古典などの教養を身につけ
三味線や琴、踊りといった芸事を教え込まれたそうで
太夫クラスを育てるのはえらくお金のかかることだったそうです。
花魁みんなが「花魁道中」できたわけではなく
筋の良さ(ついているお姐さんの格)によっても明暗あったようです。
デビュー時の、立派な仕掛け(今で言う打掛でしょうか)やかんざしは
部屋の先輩お姐さんが支度するのがならわしだったそうです。
で、「お茶を挽く」
明日役人が来るって言う日は、おもてなしのお抹茶をたてるための
お茶をひかなければいけない。
お客をとれないでいるヒマな遊女に「お茶を挽いて」ということからくるそうです。
「裏を返す」も吉原言葉だそうです。
一回目の登楼は花魁と話すことはもちろん上座にも座れず
二回目の「裏を返す」でもお酌もしてもらえず。
会話できるまでに少なくとも今のお金で120万くらい使ったそうです。
どんなにお金使っても気に入ってもらえなければ先にはすすめない。
このへんの「かけひき」を楽しんでいたということもあったようです。
ツンデレですかね。
自由恋愛とはちと違うのですが
遊女のトップ花魁はお客を選べるのです。
ハリウッド女優のごとく、その時代の文化に影響があったという花魁
人気の太夫の髪型が江戸の町の流行になったりしてたそうです。
花魁の美しさは花魁の品格あればこそのものだったのではないかと
古き時代に思いをめぐらせます。
投稿者 rin5chan : 2013年8月3日 カテゴリー: 和ごころ文化, 気まま図書館 | コメントはまだありません »
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